記念すべき1日目は49代・曲を作らない系MIDI研のlubidinemがお送りします。 前回はうまく逃げおおせたのですが今回そのツケがまわって初日の担当となりました。そういえば何とは言いませんが「12/25は誕生日じゃなくて降誕日だろ」等思った皆様、諸説あるので見逃して下さい。
この度華々しいアドベントカレンダー初日を担当するとなって、テーマには難儀しました。
等々…しかし、どれもこのご時勢G○○gle先生に尋ねれば私なんかよりもよっぽど役に立つ情報が得られるでしょう…
(´,,•ω•,,`)わわっMIDI研究会さんですか?
(๑´╹‸╹`๑)あっ…一つ目の話が聞きたかったですか…?
(๑´╹‸╹`๑)えっ…二つ目以降は意味すら分からない…?
ヾ(๑╹◡╹)ノ”まぁ気にしないで下さいっ !
…そんな訳で、今回は僭越ながら「拝啓、クリエイターたる皆様へ」と題して書かせて戴きたいと思います。ちょっと長くなるかもしれませんがお付き合い戴ければ幸いです。
はじめに
本題に入る前に少しだけ私の自己紹介をさせてください。冒頭に「曲を作らない系MIDI研」と名乗ったわけですが、じゃあ何をしているかといえばサウンドエンジニアの端くれ、俗に言う「MIX師」をしておりました。
事の発端は中学生時代の同級生が突如歌い手となったことで、いつの間にかMIX師として巻き込まれてしまってました。今となっては歌い手は辞めていますが、そこから腐れ縁で今に至り、彼女の活動を通して私も色々な意味で手広くやる様になりました。
そんなこんなで現在では縁あって、同人ながらも様々な方とローディー・マネージャー・プロデューサー・エージェンター(やエンジニア)等々の端くれとして接する機会を頂いています。
身の上話が長くなってしまいましたが、お伝えしたかったことは私自身が長らく純粋なクリエイターとしてではなく、その傍らに身を置いていたということです。
クリエイター達の受難
一億総クリエイター時代完成
昔の偉い方は仰ったのです、
「これからは一億総クリエイター時代。どんなものでも『プロ』クリエイターは食えなくなる」
と。
私はこれ、少なくとも中学生の時には聞いた覚えがありますが皆様はどうでしょう?私が知ってる限りではそんなことはなかったと思います。まぁ、こんなことより違法ダウンロードの方がよっぽどクリティカルな問題になるのですが
要はCGM(Consumer Generated Media)又はUGM(User Generated Media)とか呼ばれるサービスが当時槍玉に挙げられていた訳です。CGMといえば今では皆大好きYouTube・憎き(当方主観)ニコニコ動画やpixivを始め、実はTwitterとか今は亡きmixiなんかのことも指します。
かれこれそんな事を聞きかじった中学生が大学生になった今日、きっとこの記事を読んでる皆様もなにかしらの「クリエイター」のはずです。MISWの方なら音楽・絵・ゲームやプログラミングですし、そうでなくてもTwitterをしていれば一つや二つのネタツイぐらいはしたことがあると思います。
≒一億総評論家時代の到来
かくして、めでたく(?)一億総クリエイター社会となったわけなのですが、幸か不幸かクリエイターである皆さんとその消費者の距離は、それこそ一昔前では考えられないほどとても近くなっています。
幸は手身近に近い趣味を持つ人と知り合えたり、語弊を恐れず言えばファンからコメントがもらえること。ともなれば不幸は言わずもがなアンチとバッシングです。
(なお、ここでは「表現の自由と表現規制(社会倫理)」や「盗作・流用・ゴーストライター問題」のようなややこしいことについては考えないこととします。)
これはある意味当然の帰結で、そもそもCGM(→消費者主体のメディア)ではクリエイター=消費者なので距離が近いどころでなく、完全にクロスレンジでのやり取りになっています。
その結果、クリエイターは賛美を受けた時の嬉しさが増した反面、非難を受けた時のダメージも倍増といった事態に陥ってしまったことになります。
クリエイターはマルチである必要があるのか?
非難を受け続けてもそれに抗える人などそう多くはありません。運悪く袋叩きにあうクリエイターが後を絶たないのは想像に難くないでしょう。やがて耐え切れずに好きだったはずの創作活動からも離れ、その後も戻ってこないというケースは私程度の周りでも少なくありません。
ではそんな人々には何か問題があったのでしょうか?先に赤字で記したようなことさえ無ければ、特に問題は無いと感じるはずです。
当人が「黒歴史」と自称する過去を掘り起こすのは憚れますが、春のアドベントカレンダーで私と同じく49代のみるくさんがこのような記事(リンク)を投稿しています。 この中で彼が私の友人よろしく、「歌い手」をやっていたことについて以下のように語っています。
次に歌ってみたです。もうこれは黒歴史中の黒歴史であります。塾講バイトも始めて金銭的に余裕ができると、なんか良さげなオーディオインターフェース(録音とかに使うやつ)と安いマイクを密林で購入し、カラオケで録音をしてました。高校3年生の時からニコニコにハマり、歌ってみた廃になり、影響されやすいあの頃の私は「いつか自分も歌いたい!」と意気込み、ついにその日がやってきたのです。とはいってもこの頃はMIXも超初心者で、聴けたもんじゃありません。案の定コメントは罵声の嵐。豆腐メンタルの私は即刻動画を削除。4つぐらい出しましたが現在は全て削除済みです。そしてこの頃から「歌うぐらいなら自分で作ったほうがよくね・・・?」とか思い始めます。
さて問題です。みるくさんはなぜ袋叩きにされたのでしょうか? 恐らく本人が語る通り、
とはいってもこの頃はMIXも超初心者で、聴けたもんじゃありません。案の定コメントは罵声の嵐。
この部分でしょう。 しかし、よく考えてください。なぜ歌唱力で評価されるべき歌い手がMIXのあり方で罵倒されるのか、と。 これはMIDI研以外の方ではピンと来ないかもしれませんが、他のやり取りで極端に考えるならば
- 絵を書いたから写真をとって投稿 → 「写真撮んの下手すぎ」
- 曲を作ったのでニコ動に投稿 → 「動画が雑」
と言わているようなものです。
さて、これを読んで皆さんは「そりゃ、そう言われるだろう」と感じましたか?感じたならばなぜそう感じるのでしょう?
あなたは何故それを始めたのですか?
世の中には、天から二物も三物も貰うような人はいます。 感動する歌詞を書き・印象的な曲を作り・臨場感あふれるMIXをして・美しい絵を書き・息を呑むような動画を作るような化物もこのご時世珍しくありません。 当然ながら、そんな人々は尊敬され、憧れられ、そして若干の嫉妬を受けるでしょう。CGMでのスーパースターです。
ですが、誰しもがそうなれるわけではありません。 多くのCGMは、「様々な才能を持つ人が共に活躍できるように」複合的な作品を扱っています。必ずしも「マルチな才能を持つスーパースターのために」複合的な作品を扱っているわけではありません。
あなたが創作活動を始ようと思った時の気持ちを、まだ覚えていますか? 「絵を書くのが好きだ!」「音楽が好きだ!」「楽器が好きだ!」「本が好きだ!」 人によって様々な理由があったと思います。
そんな高尚なものじゃないという人もいるでしょう。私が見たことがあるものでも 「バンドで有名になって女の子にモテたい!」 「このゲームは俺の趣味に合わない、俺はもっと(自主規制)な(自主規制)と(自主規制)したいんだ!」 なんていう人もいました。
すべての技術を身につける必要はない
MIXが出来なくてもエンジニアが、有名になれなくてもプロデューサーやエージェンターがいます。 やりたいこと以外が必要なら、できる人を使いましょう。今となればさほど見つけるのは難しくありません。
もちろん、将来的にマルチな活動ができるようになることを目指すのも構いませんが、最初からすべてを自分の力でやってみようとするのはおすすめしません。最初は、自分が最もやりたいことを中心にして、他のことは任せて学んでしまいましょう。
終わりに
私は自身が何かを創作するというわけではなく、そのサポートを主にしてきました。その中でやはり「ココをこうしたらもっと良くなるのにな」等と考えることもあります。ですが、私は創作物そしてそれにかかった努力については常に尊いものだと思っています。
クリエイターの方々は無から有を生み出します。それらはその出来不出来に関わらず、創作行為として尊いものです。私にはクリエイターの方々が生み出したものをより良いものとすることは出来ますが、何かを生み出すことはできません。
実はこの話は、私が駆け出しの頃にエンジニア職につく師匠からして戴いた話の受け売りです。 「エンジニアは良き通訳であり、翻訳者でなければならない」 当時はよく分かっていませんでしたが、この数年間の経験を踏まえて私なりの解釈を書かさせて戴きました。
説明では包括的な話になりましたが、私は基本的に音楽関係のことしか分かりません。ですが、もしなにか困ったことがあれば声をかけてください。力になれるかもしれません。ぜひ「自分よりも知ってそうな奴」は利用してください。きっとそれがクリエイターの皆様がより良い作品を生み出すのに最適な方法だと思います。
ここまで長い間、長文乱文にお付き合いいただきありがとうございました。 皆様の創作活動がより輝かしい物になりますように…
…えっ?「じゃあなんでミックス/マスタリングについての記事を書いてくれなかったのか」って?
_人人人人人人人人_ > ブーメラン <  ̄YYYYYYY ̄ 完